南風原陸軍病院         病院配置図へ

南風原陸軍病院は通称名称で、正式には沖縄陸軍病院、部隊名は球18803という。第32軍(沖縄守備軍)直属の陸軍病院である。

△ 編 成
 沖縄陸軍病院は、昭和19年5月、動員令によって熊本陸軍病院で編成された。同年6月5日、病院長広池文吉中佐が到着。関南中学校で第32軍直属の陸軍病院として編成され、中城要塞病院(病院長目源逸)を吸収合併する。さらに、沖縄現地から、将校・下士官・衛生兵などの兵隊を召集し、また看護婦・筆生・雑事婦を雇用し、診療体制を整えた。7月3日には、仲本大尉以下200名の将兵が到着、300余名の病院スタッフとなった。

 本部・内科・伝染病科を関南中学校に、外科を泉崎にあった済生会病院に、そして兵舎を県立第一中学校に置いた。
 病院の編成は下記の通りである。
   本部 病 院 長 軍医中佐   広池 文吉
      庶 務 科 科長軍医少佐 佐藤悌二郎
      経 理 科 料長主計中尉 佐藤千年男
      教 育 科 科長軍医中尉 仲本 将英
      衛生材料科 科長薬剤中尉 柳沢  猛
      診 療 科 科長軍医大尉 佐々木僑一
   外科診療主任 軍 医 中 尉 比嘉 堅昌
   内科診療主任 軍 医 大 尉 目  源逸
   伝染病科主任 軍 医 中 尉 嘉手川重達
 この頃は痔や盲腸など内科患者が多く、外傷患者はほとんどいなかった。約500名の入院患者がいた。

南風原国民学校
 陸軍病院は、「十・十空襲」で病院・兵舎を焼かれ、衛生器材の45%・薬品の39%を損失した。
 この日の夜、陸軍病院は南風原国民学校へ移動した。
 南風原では、国民学校(現在の南風原小学校)のすべての敷地と校舎を病院として使用した。これ以後学校での授業はいっさいできなくなり、当然学校関係者の立ち入りは禁止されるようになった。
 軍医は兼城や宮平の民家(瓦家)に、看護婦は公民館(その前は民家に)、衛生兵らは学校に宿泊した。

 一方、黄金森には、米軍の沖縄上陸必至ということで横穴壕の構築がすすめられていた。築城隊の兵隊が指導、測量に工業学校の生徒が動員され、壕掘りには知念・玉城・具志頭出身者が徴用されていた。夏休みには南風原国民学校の高等科の生徒も動員され、トロッコで土運びをした。壕掘りはすべて人力で、ツルハシ・クワなどを使っていた。晴れた日は大きな鏡で太陽の光を反射させ壕内を照らし掘っていた。黄金森のふもとには、国頭から運ばれた松が積まれており、これを大工が坑木の規格の大きさに切断していた。

 教室を病室として使っていた。ベットはなく、患者はムシロの上に寝かされていた。ここでも内科患者が多かったが、「十・十空襲」や陣地構築によって負傷した兵隊も少なくなかった。治る見込みのない患者や長期患者・養療を要する(戦場で役にたたない)患者は本土に3回ほど後送した。
 治療の甲斐なく死亡した患者は「忠魂碑」の後の方で火葬した。その煙が毎日のように見えたと近くの住民は証言している。

 炊事場はマチカー(体育館の様に現在でもある)にあり、炊事婦として兼城・宮平の女性を雇っていた。将校や士官の食事は内容も栄養も十分だったらしいが、患者の食事はイモにご飯が混じった程度で、患者でも階級によって差をつけたらしい。このため、「白い着物を着た傷病兵が近くの部落をウロウロしていた」「イモをあげたりしていたが、頻繁に来るのでダビオカでマンジューやぜんざいをつくって売ったりした」。
 3月23日の空襲で、屋根を偽装していた学校は焼け、患者は三角兵舎に運ばれた。

 △ 黄金森
 黄金森の東側と西側にはそれぞれ4、5の棟の三角兵舎がつくられていた。三角兵舎の中には、「十・十空襲」で焼け残った一高女・女子師範の校舎を壊して、その資材を輜重兵が運搬して建てたのもあった。

 3月24日、これまで南風原国民学校で速成の看護教育を受けていたひめゆり学徒隊に動員命令が出された。引率教師も軍司令部から「陸軍臨時嘱託として沖縄陸軍病院勤務を命ず」の発令があった。総勢200余名が戦場に狩り出された。

 南風原に着いたひめゆり学徒隊は、三角兵舎で寝起きし、本部指揮班・炊事班・看護班・作業班に編成されたが、専ら壕掘りと衛生材料の運搬に従事していた。
3月29日、三角兵舎で卒業式を終えたひめゆりの学徒隊は、24壕など3箇所の壕に分散。
4月25日、本部・第一外科・第二外科・第三外科・糸数・一日橋と先生とセットで編成され、各部署で治療看護・飯をあげ、糞尿の始末・死体捨てと昼夜の激務をこなしていく。
死と隣合わせながら…

 米軍が本島に上陸した日から、負傷兵か次々と担送されてきた。陸軍病院の体制も外科中心に編成替えされる。すなわち外科は第一外科に、内科は第二外科に、伝染病科は第三外科にと。それぞれに軍医・看護婦・衛生兵・ひめゆり学徒隊を配置。病院関係者の総数は342名(ひめゆり学徒隊と教師を除く)であった。
※「南風原陸軍病院」(南風原町教育委員会)

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