沖縄戦最中の新聞(「沖縄新報」昭和20年4月29日)

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(一面)
一万八千余を殺傷 戦車二九四輛その他火器多數
総合戦果 一日より廿八日 
現地軍発表(四月二十八日十八時)
一、中頭地区に於いて、宮城、仲間、前田、幸地、翁長の線に於いて猛烈果敢なる銃撃を続行し、陣前において多大の出血を与えつつあり、特に前田付近の戦闘は最も激烈なり
二、四月一日より四月二十八日迄に判明せる地上総合戦果
人員殺傷 18、275名、飛行機撃墜35機、飛行機撃破62機、戦車かく挫炎294輌、×動貨車爆砕71輌、給水車爆砕11輌、装甲車爆砕十輌、発電車爆砕一輌、弾薬糧まつ集積所爆砕26個所、幕舎炎上63、砲破壊28門、迫撃砲圃獲破壊44門、単機関銃圃獲破壊40銃、機関砲圃獲破壊16門、軽機関銃圃獲破壊56銃、自動小銃圃獲破壊130銃、バズーカー砲圃獲破壊5門、自動短銃圃獲破壊3銃、火えん放射器圃獲破壊7、無線機圃獲破壊7、敵機圃獲破壊24、その他小銃、けん銃、眼鏡等多数圃獲、
三、沖縄本島海戦日から二十八日までに沖縄本島より確認せる海上総合戦果左の如し
▽轟沈 航空母艦一隻、旗艦二隻、巡洋艦十隻、駆逐艦六隻、大型十三隻、中型五隻、小型二隻、掃海艇三隻、艦種不詳十二隻、計五四隻
▽撃沈 巡洋艦二隻、駆逐艦十三隻、大型一隻、中型二隻、小型五隻、艦種不詳二三隻、輸送船七隻、計五三隻
▽撃破炎上 戦艦三隻、巡洋艦七隻、駆逐艦四隻、大型十八隻、中型一隻、小型十隻、艦種不詳五八隻、輸送船八隻、計一〇九隻
▽火柱 一六一本

社説
壕生活の組織化
郷土が戰場となってから社會生活は一変してしまった、組織は破壊され、秩序は×れて総ては亂×した、社會の單位はごうに移り、ごうの生活群が社會生活の末端となった
從って決戰行政の對象もごうにおかなければならなくなったのであるが、ごうの生活は敵来こう前の空襲に一時的に退避したのと全然趣を異にし、何時まで續くものかはっきりしたことが解らない現在では或る程度の持續性をもつものと考へなければならなくなったのであるしごうが社会構成の重要單位となったことをも考え合せてみる時、ごうを住居とし職場とし陣地として戦って居る縣民に対して新なる視野より指導激勵するの方策を講じなくてはならない
これに就ては縣當局も義勇隊も協力してごうの生活を組織化し秩序を確立して戰力の培養地たらしめようとは努めて居るが間×なき激しい砲爆下では甚だしく危險と困難をはん犯す仕事あるといって県民の戰意をさらに昂揚せしめるの行政指導措置としては危險や困難をかへりみては居れないであらう
ごうは縣民の陣地だごう内の秩序を保つと共に保険衛生に地を位して勝までは頑張り抜くに必要とするだけの健全なるしんんしをもつべきである

(二面)
勝つぞ、この意気 
弾雨を蹴って市町村長会議 戦場施策ヘ力強い推進

 【大山記者記】
戦場沖縄の県民が、皇国興亡の関頭に立って、如何に戦い抜くかについて完璧の陣容をうちたてるため県では二十七日午前八時から、国頭郡及中頭郡交戦地区を除く県下市町村長、警察署長の合同会議を開催した、熾烈な弾雨下出席が気づかはれたが、戦場に敢闘する指導者たちの熱意は見事にこれを一蹴、前夜高嶺村を出発した島尻南部八町村長と上原糸満警察署長の一団は夜を徹して参集、深夜の午前二時に会場たる警察部の壕に乗り込み、次いで与那原署管内村長、那覇、首里両警察署長及び管内市町村長が續々つめかけ、夜明けまでには全員完全に勢揃ひを了へ、開会前すでに異常な緊張味にあふれた。かくて島田知事、荒井警察部長以下各課長、現地軍、憲兵隊側、県義勇隊当間副総監、田端義勇隊本部長出席の下に開会、一同厳粛に皇居遥拝、必勝を祈念し、劈頭島田知事の訓示があり、つづいて荒井警察部長並びに関係各課長より指示事項の説明が行はれ、現地軍の戦況解説があって午前を終了、昼食ののち午後一時から更に会をすすめ、戦場における功労者の表彰があり、ついで戦場施策をめぐる県当局と市町村側の熱心な意見交換が数時間に亘って行はれたのち、当間副総監の挨拶、田端氏より報道系統の説明、憲兵隊より防諜に関する要望があり最後に島田知事の音頭で天皇陛下万歳を三唱して午後六時閉会した戦場においての市町村長会議は空前のものであり、文字通り敵弾を冒しての決死的会合は、戦場沖縄の必勝態勢に鉄の固さを加えて意義深きものがあったが、終日乱舞する敵機の爆音を聞き、壕近くに炸裂する敵弾の爆風と鳴動に身に感じ乍ら全員の士気いよいよたかまり、ごうも割れよと鳴り響く天皇陛下万歳の奉唱に醜敵撃滅の闘魂はせきを切って爆発した

勝つためにぜひ実践 縣民よ頑張り抜かう
二十七日開催された市町村町會における指示事項は左の通りであるが縣民はこれを強度に実践し勝つまで頑張り抜こう
一 必勝信念及び敵がい心の昂揚
毎朝必勝を祈念するとともに敵に対する心構えをしっかり固める 残忍な敵はわれわれの皆殺しにするものと思う、敵を見たら必ずうち殺すというところまで敵がい心をたかめること また、新聞の利用等によって正確な情況を知らせ士気を鼓舞すること
二 避難民の受けいれについては同胞愛を発揮し壕や食糧の世話に万全を期すること、生死を共にしてゐるのだ、このときこそ心底から同胞愛を発揮しやう
三 ごうに班を組織しごう長をおいて統制ある戦場生活を営むこと
四 敵機に発見されぬやうごうの出入を厳重に留意すると共に無用の者の出入を禁じ偽装を完全にすること 底に一寸でも深く掘りごう坑木を立てるなど出来得る限りごうの補強につとめよう。ごう内の衛生に注意、共同炊事を工夫實行すること
五 麥を早く刈入れ甘藷を植つけ野菜をつくって増産する一方手持ち食糧の食延しを眞剣に考えよう
五(ママ)(敵が)村に侵入した場合一人残ら(ず)戦へるやう竹やりやかまなどを整備しその訓練を行って自衛抵抗に抜かりない構へをとらう
七 軍事を語るな、スパイの発見逮捕に注意しよう

知事訓示
正義は必ず勝つ 使命達成に敢然たれ
市町村長會議における島田知事の訓示要旨左の通り
砲煙弾雨下に決死的集合を願ひ意義深い陣中會議を開催し得たことは衷心感謝にたへない、本日の會議は考へ方によっては日本一の市町村長會議で非常に切×深い感激的な集りである、この機會に十分懇談して必勝態勢を確立して戴き度い、過去一月間皆さんの奮闘は並々ならぬものがあった、東京、大阪をはじめ×國においても縣民の奮闘は詳細に知られてゐることと思ふ縣民自身も一ケ月の奮闘の体験で大体自信を得たことと思ふ、然しこれからまだまだ戰争は苛烈の度を加へ長期に亘ることを覚悟し二、三皆さんと共に考へて見たい、その一は正義は必ず勝つといふことである、眼前には苛烈な戰闘が繰返され吾々は厳しい状況下におかれてゐるが一切の××、理屈を越えて勝利を固く信ずるのである、米國が理不盡に仕掛けてやむを得ず××の矛を取って立ち上った昭和十六年十二月八日のことを思へば負けるべき道理はないのである、毎日のやうに犠牲者も出てゐるがこれは誰のためか、××敵米獣のためである、これを思ひわれわれは本當の意味で敵がい心を燃やし米兵と顔を合はす時が来たら必ず打殺さう、第二は生命の問題である、生命を無駄に捨てぬために安全なごうによることは當然であるが余り引込み過ぎて臆病になってはならぬ一たん使命達成の場合は敢然とごうを飛出して勇敢に行動せねばならぬ大事な使命達成さには皆さんも私情を殺して部下を動かし自らも示範して貰ひたい、特に軍の意図、縣の方針を末端まで行届かせるにはこの心構へが必要である、次に人口移動については戦局の推移によって多数の縣民が避難するがこの場合、食糧もごうも不十分なことは萬々承知であるが受入の村は同胞愛を発揮して世話して貰ひ度い、縣民は敵をたをすためにいま共同の苦しみを苦しんでゐるのだ、勝利の日まで辛棒をづづけやう

義勇隊の華
女子義勇隊の活躍は決戦場沖縄の華として幾多の美談を生んでゐるが島尻郡真和志村西平キクさん(二八)は〇〇×在部隊に挺進奉仕、弾薬運びや陣地構築に敢闘傍ら六名の家族を抱えて奮闘現在に及んでおりこれこそ日本女性の鏡だと近く島田知事より表彰される事になった

那覇市長に兼島助役
那覇市長富山徳潤氏は敵来こう前県外出張したまま帰任せぬので島田知事は市長の留守をあづかって敢闘した兼島景範氏を廿七日付をもって市長に任命した

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