牛島司令官最後の軍命

イマヤ刀折レ矢尽キ、軍ノ命旦タニセマル。スデニ部隊間ノ通信連絡杜絶セントシ、軍司令官ノ指揮困難トナレリ、爾後各部隊ハ各局面ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ、最後マデ敢闘シ悠久ノ大儀ニ生クベシ。
                                      昭和20年6月18日


親愛なる諸士よ、諸士は勇戦敢闘実に三か月、悲惨な状況下に良く所命の任務を完遂し初期の目的を達成せり、然し今や戦線は錯綜し、通信も又絶え、予の指揮は、不能と成れり、自後は各々その陣地に依り、所属上級者の命に従い、祖国のために最後まで敢闘せよ、さらば此の命令が最後なり。
                                       昭和二十年六月二十日

牛島司令官の戦争続行の発言

「八原大佐、貴官の予言通り攻撃は失敗した。貴官の判断は正しい。開戦以来、貴官の手腕を掣肘(せいちゅう)し、さぞかしやりにくかったろう。予は攻撃中止に決した。いまここでの玉砕はとらざるところである。予が東京を出発する際、阿南大臣も、梅津参謀総長も、玉砕するなと堅く申しつけられた。軍の主戦力は消耗してしまったが、なお残存する兵力と、足腰の立つ島民とをもって、最後の一人まで、そして沖縄の南の果て、尺寸の土地の存する限り、戦いを続ける覚悟である。今後貴官に一切を任せる。思う存分自由にやってくれ」
       (読売新聞連載『昭和史の天皇』一八〇、沖縄玉砕すの六)


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