見出しボタン沖縄戦と慰霊塔                                   2002/4改稿 
慰霊塔は何を後世に伝えるのか 〜 

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    沖縄戦では日米双方で、住民を含む約二十万人以上の人たちが戦没した。沖縄では、その慰霊のための塔や碑が「どこにでもある」といえるほど建立されている。そのことは沖縄戦がいかに悲惨であったかを表すわけであるが、生き残った人たちの思いが何かの形として表現されたのが沖縄戦の慰霊塔・碑である。したがって、それは単なるモニュメントではなく、墓碑に近い存在物である。最も古い時期に建立された慰霊塔は納骨堂とともにあったし、現在でも祭祀の場としての役割を持っている慰霊塔・碑は多い。

    県内にどれだけの数の慰霊塔・碑があるのかは定かではないが、個人・団体等の設置者による県内、県外、外国等の大小を数えると三百基以上はあるだろうと推定される(県援護課329基)。現在でもなお新たに建立されているが、そのほとんどは昭和二十年代後半から昭和四十年代前半に建立されている。

 そして、その三分の一が旧三和村(現糸満市・喜屋武半島)に存在する。三和地区には百十基余の慰霊塔・碑があり、沖縄戦における惨禍の激しさを表している。その内容をみると、圧倒的に多いのが都道府県によって建立されたもので四三基。次に多いのが軍人、軍属関係のもので、男女学徒隊関係、職場関係のものなどがそれに続く。そして、生き残った地元住民たちが散乱する遺骨の収集と供養のために納骨堂を建立したが、その名残を引く各自治会の塔・碑がある。また、個人対象(主に高級軍人)の塔や碑も多い。

 このように、一口に百十基といっても、その建立者、慰霊対象者によって塔・碑の性格も異なってくる。

    なぜ慰霊塔や碑を建立するのか。一般的には「戦争への反省」や「平和への願い」というものであることに相違ない。しかし、具体的な慰霊塔・碑についていえば、必ずしも「戦争への反省」や「平和への願い」という人々の常識的な思いが表現されているとは言いがたい。建立された塔や碑は、その形や規模、そして刻まれた「碑文」によって、それぞれの意味をもち訪れた人たちに訴えていくことになる。

 本来、戦争反省と平和希求を願わない戦争慰霊塔や碑はないはずである。これらの塔や碑がどういう視点から建立されているかを捉えることによって、その中に潜む戦争の実相を浮かび上がらせることができるのではないか。したがって、形としての塔や碑そのものが平和教育に活用されるというのではなく、その塔や碑の性格が生かされなくてはならない。そして、前述のように、碑文から戦争の実相を捉え、さらにこれらの塔や碑を建立した遺族を含む現代に生きる人々の真の願いを汲み取ることが大切である。碑文には、沖縄戦をどう捉えるか、という大きな意味をも内包しているのではないだろうか。その意味で、碑文の研究を進める重要性を感じる。 

 そのような観点から、沖縄戦に関する慰霊塔・碑については、そのもつ意味の重要性からも大切な戦争遺産の一つとして再認識していくべきものである。

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