三和地区ガマの解説                     所在地図

(注記)証言等をもとに最大限の現地調査を加えて作成したものであるが、ガマそのものの埋没や現地形状の変形、証言等の食い違い等により、他書との違いが生じたものがある。そのガマには※を付した。今後の更なる調査によって更新していきたい。〔 〕は別称・通称・俗称を表す。( )は所在地。

1 [白梅之塔下の壕][白梅之塔北方の壕](国吉)                   
  第24師団第一野戦病院(山3486)の任務を負った壕で、学徒隊として従軍していた県立第二高等女学校「白梅学徒隊」の女学生がここで多数亡くなった。     
  東風平にあった、 第24師団山部隊第一野戦病院が6月4日以降、移動してきて入った壕である。「下の壕」が病院壕として使われ、一応野戦病院の任務を負っていたが、この壕に移動するころはすでにその機能を失っていた。6月4日、解散命令が出たあと、三々五々戦場を彷徨していた県立第二高等女学校(白梅学徒隊」の学生16名が合流し、このガマに入り、負傷兵の手当てや世話をする程度であった。6月21・22日以降の米軍の猛攻撃で多数の死者をだした。
   この壕は、日本軍が最後の防衛線として設定した、八重瀬岳─与座岳─国吉─真栄里にあたり、激戦が展開された一角にある。側に「白梅の塔」や「萬魂の塔」が建つ。                                          

2 [白梅之塔上の壕][白梅之塔南方の壕](同上)                   
 野戦病院勤務者の食料壕、休憩所として使用された。側に「真山之塔」が建つ。ここでも、学徒隊が戦死したり、捕虜に捕らえられたりした。また、日本兵の自決があった。        見取図
                                          
3 [連隊壕](同上)                              
  200メートル中に入る。歩兵第32連隊最後の壕。当初、この部隊は、高嶺村大里の「大城森(壕)」を本部にしていたが、6月4日そこを撤退し、この壕に移動した。この壕は、第32連隊が自然壕を利用して造った半構築壕だが、地元住民の証言では、地元住民が見つけ避難壕として整備したものである、と言われている。32連隊が移動してきた時は、すでに住民や第24師団の今井隊が入壕していた。結果的には、住民は追い出され、24師団今井隊は片隅をつかったようだ。日本兵約 200名が、軍旗を守って最後まで戦ったといわれるが、壕内はかなり混乱していた。住民をスパイ視したり、夜は食料取得に住民を先導者にしたりして、 8月30日まで隠れていた。側に「山形之塔」がある。
                                        
4 「アバサガマ」(名城)                           
 名城住民の避難壕。日本軍による追い出しがあった。米軍によりリン光性爆弾を撃ち込まれたり、ガソリンに火をつけて投げ込まれたりした。現在は埋め土されてゲートボール場になっている。
                                        
5 「轟壕」〔トドロンガマ・トルルシガマ・トロドンガマ〕(伊敷)       
 地下水脈の通った壕で、1200メートルもある。ウッカーガマにつながっている。軍民混在の壕。日本兵による住民追い出し、脅迫等が行われた。島田知事も立ち寄ったといわれる。日本兵は自分の都合によって、住民を壕の奥に閉じ込めたり、入口付近に置いたりしてわが身を守っていた。米軍に投降した時、米兵が「この人達殺しますか。殺しませんか」と聞いた時、住民が一斉に「殺せ」といったという。それほど、日本兵による虐待は酷かったという。            見取図
                                        
6 「トーンガマ」〔二本松の壕〕(伊敷)                    
  250メートル入る。「轟壕」に水脈で繋がる。山第二野戦病院避難壕として使用された。戦没者名の掲示板が建っている。           
                                        
7 [陸軍病院第二外科壕跡](糸洲)                          
 軍用として使用された。ひめゆり学徒隊のいた壕で、現在は埋め土されている。「守魂の塔」があったが、廃棄された。現在は「第二外科壕跡」の碑だけ建っている。       
                                        
8 「ウッカーガマ」(伊敷)         
 糸洲字民の避難壕。避難民も入る。反対側の「ウンジャーガマ」に第二野戦病院本部が移動してきた。「鎮魂の碑」が建つ。傍らに親と兄弟を失った別の遺族によって同名の「鎮魂の碑」が建っている。  詳細見取図           
                                        
9 [真壁陣地壕・寺山壕](真壁)                           
  構築陣地壕。出入口が5か所ある。現在は崩落している。「真和の塔」が建っている。 見取図                                           
10 「アンデラ壕」〔ガマ〕(真壁)                       
  250メートル入る。自然壕残存。住民の避難壕。後、野戦重砲第一連隊が入る。「萬華之塔」「山吹之塔」等が建っている。火焔放射のがある。  
                                        
11 [真壁の壕・アンガー東ガマ](真壁)                         自然壕埋没。真壁の人が避難していたが、米軍の直撃を受け、犠牲者が出たので、一時放棄したがまた戻って避難した。日本軍の下士官が来て、「軍が使うから出ていけ」と言われたが、金城さんが包丁を出して拒否した。結局軍民同居となる。飲料水は米須近くのヒージャ川から汲んできた。毒ガス風のものも撃ち込まれた。8月24日に壕を出る。
                                        
12 「アンガー」(真壁)                       
  250メートル入る。自然壕残存。第24師団野戦病院(山3487)の分院があった。米軍によって火焔放射の攻撃を受ける。また、日本兵によって赤ちゃんが絞め殺されたという証言がある。
                                        
13 「白河・シラカー」(真壁)                              
 水汲み場となっていた泉(ガー)。農業用水井戸、残存。真壁住民避難壕。水を汲みに来て米軍の砲撃を受けて多数の犠牲者が出た。
                                        
14 「アバタガマ」(真栄平)                          
  自然壕。残存。10メートル入る。住民の避難壕。日本兵の壕追い出し虐殺があった。「南北の塔」「捜索第24連隊慰霊の碑」の塔が建っている。戦後仮納骨堂として使用された。
                                        
15 「クラガー」〔暗川〕(宇江城)                       
  自然壕。残存。405メートル入る。地下水の流れでアブガマと繋がっている。6月2日、第24師団長雨宮中将以下軍旗を焼いて自決した。住民追い出し食糧強奪、住民虐殺の証言あり。火焔放射の跡がある。「山雨の塔」が建つ。
                                        
16 「アブガマ」(宇江城)                           
   自然壕。残存。クラガーと地下水で繋がっている。避難壕として使用された。
                                        
17 「タヂリガマ」(真壁)                           
  自然壕。残存。陣地病院壕。軍民混在。避難壕。「山3474部隊慰霊の碑」が建っている。                                                 
18 「アジガー」※(喜屋武)                           
 住民の避難壕。泉(ガー)があり、拝所も近くにある。
                                        
19 「トンヌマー壕」[喜屋武のトーチカ](喜屋武)                       
 自然壕。残存。避難壕。入口が三カ所あり、縦穴になっている。洞口2は直径1.5m程で、タコ壷のように地面に開いていて、洞内へ土砂とゴミが流れ込んでいるため多少入りにくい。滑口1と洞口3は、土砂により半分埋まっているため、入洞には不適当。洞口2は小さいが人工的に掘られた洞窟が左右に広がっている。洞内は比較的乾燥していて、壁や天井は崩れやすい.この壕は5つの小部屋からなり、石垣も見られる。床一面に崩れた岩とゴミが乱散しており、遺留品らしきものは見当らない。洞口1と洞口3からは、わずかに光が差し込んでいる。  見取図
                                        
20 [ひめゆりの塔北方の壕](伊原)〔名称不明、西原洞穴か〕          
 避難壕。自然壕。三層になっており、一層は食料品、衣料品の置き場所。二、三層に家族 3人、別の家族 6人、証言者家族 6人がいた。米軍が手榴弾を撃ち込む。一家自決を決心して「こんな世の中に生まれてきたから、もう一緒に死のう」と言うと、子供が「イヤ死なないほうがいいよ、お父う」と言われ、生きることにした。
                                        
21 「チブラアブ[第三外科壕・ひめゆりの塔の壕〕(伊原)           
 軍民混在。ひめゆり学徒隊の多くがここで最期をとげた。陸軍病院第二外科壕や第一外科壕からも避難した学徒隊員も合流したが、米軍のガス弾撃ち込みで多数の死者を出した。側には「ひめゆりの塔」「陸軍病院第三外科職員の碑」などが建っている。また生存者が建てた「ひめゆり平和祈念資料館」がある。                        
22 「ウマウトゥシ」(伊原)                          
 戦闘が終了すると、近くに出来たアメリカ軍キャンプのゴミ捨て場となり、第三外科壕に避難していた人達の食料捜しの場所となる。第三外科壕とは繋がっていない。
                                        
23 [大田壕](伊原)                             
 埋没。野戦病院として使用。ひめゆり学徒隊の一時避難した壕。現在は埋め土されて畑になっている。     
                                        
24 「アブチラガマ」[第一外科壕](伊原)                           
  100メートル入る。波平第一外科の後ここに移動する。解散命令が出るまで 200名余りが避難していた。野戦病院壕だった。「第一外科壕跡」の塔が建っている。壕内は三つの部分からなる。     見取図(新調査図)
                                        
25 [クラガー前の壕](米須)                        
  兵器倉庫。白井隊。                                      
26 [鎮魂之塔壕・球部隊高射砲隊の壕・米須小学校裏の壕](米須)       
 自然壕。残存。火焔放射の跡がある。米軍の投降に応じないので、ガス弾を撃ち込まれ、後、火焔砲を投下されて壕内で多数の住民や兵士が亡くなった。地元の少年一人だけ助かっている。「大日本帝国」の文字が残る。
     「鎮魂之塔」が建っている。       

27 「福井泉・クシンカー・ウクシンカー・クラガー」(米須)          
  球部隊の兵器倉庫として使用。石部隊の他に民間人多数が避難。米軍の馬乗り攻撃があり多くのけが人が出る。ハリガネみたいな爆弾も撃ち込まれる。米兵の「出てこい」の投降勧告に対して、日本兵が拒否し、火炎砲を撃ち込まれる。死体が多く浮いていたが、それでもこの水を飲まなければならなかった。      

28 「米須城址構築壕」(米須)                         
  有馬部隊が布陣していた。退却後は避難壕となる。

29 「アガリン壕」[忠霊之塔壕](米須)                         
 住民の避難壕だったが、後に日本兵や他地域からの避難民も入っていた。米軍の投降勧告に従わなかったため、ガソリン罐を投げ込まれ火をつけられた。一人を除いて全滅した。自然壕。埋没。
      「忠霊之塔」が建っている。

30 「グシクガマ」[喜屋武のトーチカ ・具志川城址壕〕(喜屋武)          
 具志川城址の下の海岸沿いにある自然壕。日本軍のトーチカがあり、近くに日本海軍の望楼がある。日本兵による住民追い出しや手榴弾による「自決」があった。中には窪みがいくつかあり、それぞれに数人ずつ固まって避難していた。30数名の住民と 5〜 6名の日本兵がいた。

31 「隊長壕」(喜屋武)                            
 武部隊隊長の壕。後に避難壕となるが、米軍の猛攻に合う。中は1,2階にわかれている。喜屋武の住民は1,2日しかいなかった。水はなかった。

32 「山城の陣地壕」(山城〜束辺名)                      
 武部隊によって丘の北面に何十と構築されていた。山城の住民の動員によって構築されたもの。後、山部隊、石部隊へと引き継がれた。中には長いので 100メートルほど中に入るものもあった。天井張り、線路が敷かれていた。食料・弾薬の貯蔵壕もあった。陣地構築の資材は、山城部落の瓦ぶきの家が壊されて使われた。          

33 「防疫給水部隊壕」〔束辺名洞〕(束辺名)                  
 自然壕。残存。毒ガス戦を想定した部隊が立てこもっていた。当真城跡にあり、束辺名側にもう一つの出入口がある。中には、フランス製の化粧クリームや櫛、手鏡などがあったことから軍と共に行動した「従軍慰安婦」が居たと思われる。「防疫給水部隊本部終焉の跡」の碑が建っている。      

34 [束辺名の陣地壕・トーチカ」(束辺名)                       
 避難壕。自然壕を利用した半構築壕。反対側の山中にもう一方の出入り口がある。 

35 「束辺名の構築壕・トーチカ」(束辺名)                        
 避難壕。構築壕。内部はかなり崩落している。
                                        
36 「イリーン壕」[第2壕](上里)                             
 自然壕。住民の避難壕。埋め土されている。                     
                                        
37 「アガリン壕」[第3壕](上里)                            
 自然壕。住民の避難壕。陸軍病院関係避難者に追い出された、という証言がある。    
                                        
38 「マヤーアブ」[マヤー壕・山城の壕〕(山城)                
 70メートル中に入る。 300名ぐらいが入れる広さ。実際は 100名以上が入っていた。陣地壕が危なくなった頃、日本兵が押しかけてきて、住民の追い出しにかかった。山城の人々が畳で入口を塞ぐと、軍刀で畳を切り裂き脅迫した。次の証言がある。
  ※日本兵の仕打ち〜・食料を奪う ・こどもを注射で殺す ・「三歳以下はこちらで処分する」という ・「出ていかないと斬る」 ・米軍の捕虜に          なる者にはスパイ容疑で銃を向け「撃つ」というなど。
 住民は抵抗するが、結局壕を出る者もいた。また、日本兵は斬り込みに行くといって杯を酌み交わし歌を歌って出ていったが戻らなかった。一方、「民間人だけでも捕虜になりなさい」という日本兵もいた。生存者は 4名で 7月頃までいた。               
・何度かの遺骨収集のため掘り返され中はかなりガレている。      見取図
                                        
39 「アシガー・アシチャードー・アシャガー」(山城)                  水汲み場所。数多くの死体が浮いていた。 8月下旬まで避難していた。慰安婦が髪をあらっていたという証言がある。大雨になると、人が流されるほど流れが急になる。
                                        
40  「サキアブ・ガンガラー壕」[陸軍病院壕 ・山城本部壕](山城)              50メートル中に入る。軍用壕。24人が「自決」。「沖縄陸軍病院の塔」の塔が建つ。壕内は二つの大きなホールから出来ている。石垣が積まれた跡や水流の跡がある。   見取図                                  
41 「シーガーアブ」〔有川中将自決の壕〕(米須)                
 自然壕。残存。塔脇と他に二か所の洞穴口がある。米軍の投降に応じないで石油を流し込まれ、火を付けられて多数が死ぬ。脇に「有川中将以下将兵自決の壕」の塔が建っている。   
 壕は、二つの上部が開いたドリーネが通路で結ばれている。石垣やカマドの跡、人工的に掘られた横穴がある。ドリーネの窪みを利用して石垣を積み、トーチカにしたものでる。  見取図                                     
42 「栄泉・エイガー・サカエガー」(米須)                  
 水汲み場で、多くの人がここで米軍の砲爆撃で亡くなっている。
                                        
43 「インガー」(米須)                       
 水量は少ないが、ガマがあり避難場所になっていた。            
                                        
44 「スーガー・スガー」(米須)                            
 地下水が海岸に湧き出ている所である。多くの住民が戦場の中、「この水を飲んで死のう」と言っている。現在も多量の地下水が湧き出ている。
                                        
45 「ふくらし泉(ガー)」(大度)                       
 水汲み場。死体がたくさん浮いていたが、その水を飲んだという。
                                        
46 「マヤーアンガー」〔アマンソー壕〕(大度)                 
 自然壕。残存。軍民混在。米軍の攻撃で多数の死者が出た。その中で二人だけの生活が続いた。 9月に壕を出た、という証言がある。
  壕内は、大まかに主洞、上層、中層、下層と分けられる。陶器や鉄兜、缶詰や皮の靴などとともに遺骨も収集されている。                見取図                                       
47 「サシチンガマ」(大度)                          
 中は二層になっていて、上に日本兵が陣取り、下の住民に睨みをきかしていた。投降に応じないので、米軍はドラム缶に火をつけて上から落とした。中に拝所がある。
                                        
48 「サシチンガー(泉)」(大度)                       
 海岸沿いにあり、地下水が湧き出ている。住民の水汲み場。        
                                        
49 [南冥の塔壕](摩文仁)                          
 中に15メートル入る。避難壕で混雑していた。多数の死者が出る。戦後遺骨の仮納骨堂として使用された。「南冥の塔」が建っている。                                                   
50 [健児之塔壕](摩文仁)                          
 沖縄師範男子部鉄血勤皇隊終焉の壕。「沖縄師範健児之塔」・「少年像」が建つ。 
                                        
51 [第32軍司令部壕・摩文仁軍司令部壕](摩文仁)              
 構築壕。残存。中に30メートル入る。牛島司令官、長参謀の自決壕と言われる。ガマの構造上遺骨収集が困難で多くの遺骨が眠る、と言われる。近くに「黎明の塔」「勇魂の碑」が建つ。     見取り図
                                        
52 「アラダイ壕」(小波蔵)                          
 避難壕。 2カ月間避難していたが、米軍の猛攻でそこを出る。
                                        
53 「アラレガマ」〔アラライガマ〕(名城)                   
 避難壕。日本兵の住民追い出しあり。米軍の艦砲時には100名程が避難していたが、20〜30人が死んだ(40〜60人という証言もある)。日本軍の追い出しに合い、ケガをした夫と姉を残して移動したとか、負傷の娘と介護のために夫を残してガマをあとにしたという証言などがある。                           見取図
                                        
54 「ウッカー壕」伊敷のウッカーガマのことか?〉※(糸洲)           
 避難壕。轟壕と地下水で繋がっているが、通り抜けることはできない。日本兵による住民追い出しあり。                                                                      
55 [波平第二外科壕](南波平)                        
 構築壕が自然壕か不明。ひめゆり学徒隊が陸軍病院関係者と共に入っていた壕。その後、伊原の第一外科壕に移動している。
                                        
56  [ガス部隊壕]※(新垣)                           
 軍用壕。側に「浄魂之塔」が建つ。道路南側まで続いていた。火焔放射の跡がある。「ガス弾がある」と言われている。                        
                                        
57 [白井隊壕・77号壕・シラタイ壕]※(新垣)                      
 中に60メートル入る。構築壕か自然壕か不明。軍用壕。野戦病院として使用。部落の女性が看護要員として動員された。(これが「ガス部隊の壕」ともいわれている)    見取図                                                       
58 「上城大道第一洞」・「同第二洞」(宇江城)                 
 縦穴洞穴。下に30メートル下る。野戦病院として使用されていた。        

59  「フルグスクの壕」(喜屋武)
   自然壕。残存。

60  「ウンザー壕・ウンジャーガマ」(伊敷)
    自然壕。「轟壕」と水脈で繋がっている。当初豊見城の壕にあった第24師団第二野戦病院が、この壕に移動してきた。 この病院には私立積徳高等女学校生徒が看護学徒隊として配属されていた。6月26日解散命令が出て、学徒隊は同 27日に壕を脱出している。             見取図

61  「アカサの壕」(福地)
    自然壕を生かして福地住民が掘った壕。残存。中は広い。

62  「イシグー壕」(福地)
    自然壕。埋没。

63  [防疫給水部隊壕の北側の壕](束辺名)
    南部最大の構築壕。「防疫給水部隊壕と繋がっている。 

64  [イクサミチジ](新垣)
    自然壕。埋没。新垣部落の西側の住民が避難した。

65  「ムンクェアブ」(新垣)
    自然壕。埋没。新垣部落の西側の住民が避難した。5,6カ所の穴があいていた。

66  [大新屋壕」(新垣)
    自然壕か構築壕が不明。

67  「病院壕」(新垣)
    野戦病院壕として使用。部落の女性が看護要員として動員された。

68 「89連隊壕」(新垣)
   埋没。

69 「新垣陸軍病院壕」(新垣)
   構築壕。残存。歩兵89連隊壕が近くにある。

70 「アガリバル(東原)の壕」(新垣)
   火焔放射の跡がある。「3人が水汲みに行って助かった」という証言あり。

71 「ガンヤ前防空壕」(真栄平)
   構築壕。埋没。

72 「ガンヌヤー」(真壁)
   埋没。

73 「ウサースーガマ」(真壁)
   自然壕。埋没。出入り口は狭い。
  (証言)上は道路が通っていて、戦車が通るとその音がした。中には水もあり、5,60名が入っていた。姉が「出てきなさい」と言ったので、壕から出た。米軍を見てびくりしてまた壕に戻った。最初、姉は皆から「殺すために出したんだね」と言われて攻められていた。当時12歳の人がケガをして壕から出なかった。

74  「フシゾウアブ・ゆたか泉」(米須)
   自然壕。50メートル入る。埋没。小渡の住民が避難していた。火焔放射の跡がある。避難民の水汲み場所。そのために多くの人が亡くなっている。

75 「カミントウ壕」(米須)
    自然壕。埋没。軍民混在。米軍の「デテコイ」に応じない。日本兵が住民の投降を阻止。傷痍爆弾  を投げ込まれる。「集団自決」あり。

76 「マヤーン壕」(大度)
    自然壕。埋没。住民避難壕。

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